全く練習しないで、何かを上手くやろうなんてのは、虫が良すぎる。
何回も失敗して、やっと成功をするのが当然の事だと思う。
そこらあたり、イキナリ完璧を求める方に昔、出会った。
私の上司が中心になってアプリケーションを書いていて、やっと完成。
他の部署のさらに役職が上の人(お偉い方)が登場。
そのアプリケーションを使うという。取扱説明書を求めて来た。
私の上司「まだ、取扱説明書が完成していません」
お偉い方「そこまでやってこそ、仕事だろう」
お偉い方を軽蔑した。役職が上になったあたりで、モノづくりには経過があり、現物が曲がりなりにも動く様になってから、新たにそれを使う人への説明書が整備される。
(何を作るか、という仕様書は現物を作る前に書かれる)
1:何を作るかをきちんと決める(必ず盛り込みたい物と、作り込めない物の判別入り)
2:必死になってそれを作る。個人で作るのではなく、チーム開発だと、また大変。
3:使える物が出来上がり、実際に運用してみる
4:動作が、元々求めているものと違いがあれば「3:」に戻る
5:「3:」「4:」の往復の戦いをしながら、記録文書を書く
これらを死に物狂いでやっている時、全くその過程を知らない人への取扱説明書を書ける訳がない。「お偉い人」も、その立場になる前には、同じ事を何らかの形で経験しているはずなんだが・・・
気に入らないと「そこまでやってこそ、仕事だろう」はなぁ・・・
私は、私の上司とは普通の関係だったが、その発言は、本気で私を怒らせた。
オイ、いい加減にしろよ。気に入らない事や、自分が求める物が用意されてなかったら、ことごとく「そこまでやってこそ、仕事だろう」で抑え込むワケか。
そんな「お偉い人」を「老害」と言うのである。
私がそうなりかかっていたら、警告して欲しい。あんなジジイにゃなりたくない。
そして、取扱説明書なのだが、まずは、ざくっと書くのがスタート。
1:それを見ながら運用してもらう
2:分かりにくい所を指摘してもらう
3:そこを修正して、 見ながら運用してもらう
の「2:」と「3:」を何度も繰り返して「外部に出せる仕事の成果」になる。
これをしていない内にイキナリ 「そこまでやってこそ、仕事だろう」 と求めるのは実際の現場で動いている人からしたら、単なる「成果だけくれ」という、欲張りでしかない。